
Mr.Children「シーラカンス」の解説と歌詞考察だよ♪
例えあったとしても、何の役にも立たないかもしれない
楽曲紹介
楽曲収録CD
| 概要 | 収録作品 | 発売日 |
|---|---|---|
| 5th ALBUM | 深海 | 1996年6月24日 |
作詞:桜井和寿/作曲:桜井和寿/編曲:小林武史&Mr.Children
アルバム『深海』累計売上:274.5万枚
豆知識

アルバム『深海』発売時のCMでは本楽曲が使用されたよ!

桜井さんはアルバムタイトルとして「シーラカンス」を提案したが、評判が悪く反対されたらしいぜ。1

レコーディング終盤に制作された曲っていうのもあって、時間もなく、メンバーは1、2回聴かされてすぐ翌日にレコーディングをすることになったみたいよ♪2

GLAYの楽曲『3年後』でTAKUROさんが『シーラカンス』に似たイントロを作ってしまい、桜井さんに謝罪したっていう話もあるよ♪
アルバムジャケット情報
- 撮影場所はスタジオ
- 椅子は「アンディー・ウォーホル:電気椅子」をイメージ
- 椅子の上の光は水槽に乳褐色の入浴剤を入れ表現している
- アートディレクター:信藤三雄
桜井「蒼い部屋に椅子がぽんと置いてあって、薄気味悪い影がある。そこにはかつて誰かが座っていたのかもしれないけど、今そこには影しかない。でも、いないのに椅子がぽつんと置いてある不自然さがあって、そして、再びその椅子にまた誰かが座るのかもしれない」
MV(ミュージックビデオ)情報
なし
ミュージックビデオはございません
タイトルについて

かつて「シーラカンス」は、すでに絶滅した存在だと長い間考えられていました。
しかし1938年、南アフリカで現生種が発見され、学界のみならず世界中に衝撃を与えます。
では、この楽曲における“シーラカンス”とは一体何を意味するのか。
その答えは、桜井さん本人が解説しています。
答えは「シーラカンス=愛・夢・希望」です。
ずっと信じていたはずなのに、いつの間にか見えなくなってしまったもの。
それでも自分の中に今も潜んでいるかもしれない存在。
そんな曖昧に心に潜んでいるものを、「シーラカンス」になぞらえて描いているのです。
歌詞考察
『シーラカンス』は、珍しくメロディーよりも先に歌詞から書き始めた楽曲です4。
だからこそ、その言葉ひとつひとつを読み解いていくことで、アルバム『深海』に込められた本質が見えてくるはずです。
1番 Aメロ(シーラカンス〜)
シーラカンス
<出典>Mr.Children/シーラカンス 作詞:桜井和寿
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?
ここで描かれているのは、シーラカンスへの“問いかけ”という形をした、自分自身への確認のようにも感じられます。
「深い海の底」とは意識の奥底。
普段は触れることのない、心の深層を指しているのではないでしょうか。
そこに「まだ生きているの?」とかつて信じていたはずの“何か”に問いかけている。
つまり、愛や夢や希望といったものが、今も自分の中に残っているのかを確かめようとしているようにも読み取れます。
そしてもう一つの問い。
「七色に光る海を渡る夢見るの?」
“七色”という表現は、主人公が抱いていた鮮やかな夢や理想。
この2つの問いは、どちらも過去の自分、その心の奥底に眠る“シーラカンス”に向けられたものです。
1番 サビ(ある人は言う〜)
ある人は言う君は滅びたのだと
<出典>Mr.Children/シーラカンス 作詞:桜井和寿
ある人は言う根拠もなく生きてると
とは言え君が この現代に渦巻く
メガやビットの海を泳いでいたとしてもだ
それがなんだって言うのか
何の意味も何の価値もないさ
ここではまず、“シーラカンス”=愛や夢や希望に対する、世間の評価が描かれています。
「もうそんなものはとっくに失われた」
「いや、根拠のない幻想に過ぎないかもしれないが、まだある」
どちらにしても、肯定ではなくどこか冷めていて、突き放すような視点です。
そして続くフレーズ。
「とは言え君が この現代に渦巻く メガやビットの海を泳いでいたとしてもだ」
“メガやビット”、つまり情報やデータが支配するデジタル社会。
もし仮に、愛や夢や希望といったものが、この情報の海の中で存在していたとしても、意味も価値もない。
そんなどこか諦めにも似た虚無感が描かれています。
2番 Aメロ(シーラカンス〜)
シーラカンス
<出典>Mr.Children/シーラカンス 作詞:桜井和寿
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?
続いて再びシーラカンスへの問い。
この問いに主人公は答えを見出すことができるのでしょうか?
2番 Aメロ(ある人は言う〜)
ある人は言う君は滅びたのだと
<出典>Mr.Children/シーラカンス 作詞:桜井和寿
ある人は言う根拠もなく生きてると
どうしたら僕ら 答えを見つけだせるの
どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
選択肢はいくつだってある
言うなれば自由
そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる
今の時代は好きな未来を選べるし、どこで生きて、どこで終わるかも自分で決められる。
けれどその裏側には、“だからこそ決められない”という不安や拠り所のなさも感じます。
選べるということは、同時に“選ばなければならない”ということ。
無数の可能性の中で正解が見えないまま、立ち尽くしているような感覚です。
「そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる」
ここで再び「君=シーラカンス」の登場です。
左脳の働きは論理的思考と言われています。
感情や直感ではなく、理性の隅っこにかろうじて“君”の存在が引っかかっている。
愛・夢・希望を完全には捨てきれず、まだどこかで信じていたいという未練があるようにも感じられます。
Cメロ(シーラカンス〜)
シーラカンス
<出典>Mr.Children/シーラカンス 作詞:桜井和寿
僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする
シーラカンス
ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる
君を見つけだせたりする
「君が確かに住んでいたような気さえもする」
「いた」と言い切るのではなく、「いたような気さえもする」と濁しています。
それははっきりとは掴めないけれど、どこかに存在していた記憶。
「ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる」
今度は自分の中で見失いかけている“シーラカンス”を別の誰かの中に見出そうとしています。
自分一人では信じきれなくなったから、愛する人の中で確かめようとしている。
でもそこにあったとしても、「見つけだせたりする」という言い回しがあるように、「見つけた」と言い切ることはできない。
迷いながら深く潜り続け、その果てにようやく見えてくる微かな光。
掴めるかどうかも分からない、それでも追い求めてしまう、愛や夢や希望。
その物語こそが、『深海』なのかもしれません。
アルバム『深海』の長い物語はここから始まります。
この楽曲は、そのすべての入口となるプロローグの役割を担っているのです。
聴きどころ
メロディー
Aメロでは、まるで深い海の底を漂っているかのような、低音域で浮遊感のある不気味なハーモニー。
そこからサビへ移るとメロディーは跳ねたリズムに変わり、抑え込んでいたものが一気に噴き出すかのように歌い上げます。
そして最後のセクション(僕の心の中に〜以降)の畳み掛けるようなフレーズは圧巻です。
しかしそこに、これまでのMr.Childrenらしい爽やかさや温かさは一切なく、鋭い刃のように変化した桜井さんの歌声には、驚かずにはいられません。
決して気持ちよく乗れるようなロックではない。
だけど激しく、それでいて緊張感があり、ただただ引き込まれる。
浮かび上がることなく、ただ深く深く潜っていくような旋律に感じます。
アレンジ
耳に残るフレーズ満載でとてもかっこいいアレンジ。
各パート様々な洋楽バンドにインスパイアされた演奏になっているようです。
まず印象的なのがイントロ、Aメロのアコギのフレーズ。
深海の底を浮遊しているような感覚のまま歌に入るのも良い。
曲の雰囲気は「ピンク・フロイド」をイメージしているそうです5。
そしてスパッと他の音が止み、誰もが痺れるサビへ向かうギターバッキング。
田原さんはそれを「一人ニルヴァーナ」と表現しています。
さらに破壊的で圧倒的な存在感のあるJENの演奏は、「レッド・ツェッペリン」のドラマーを意識しているそうです。
レジェンドバンドがMr.Childrenに憑依したスペシャルなアレンジと言っていいでしょう。
ちなみに『シーラカンス』というタイトルは、デジタル機材が主流の現代に、あえて原始的なアナログ機材を使用したことにもかけているそうです6。
“昔から変わらず存在し続けている”という意味合いで、愛や夢や希望といったテーマだけでなく、音そのものにも重ねられているのですね。
著名人の感想
随時更新します。
ライブ&テレビ披露
ライブ
- REGRESS OR PROGRESS
- CONCERT TOUR POPSAURUS 2001
- ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001
- DOME TOUR 2005 “I ♡ U”(大阪ドーム公演のみ)
- ap bank fes ’10
- Tour 2011 “SENSE”
- 京都音楽博覧会2016(桜井和寿&くるり)
オススメ映像作品
CONCERT TOUR POPSAURUS 2001
“ポップザウルス”が泳ぐスクリーン映像とのリンクがすごく良い。
まさに”深海への入り口”から”深海からの脱出”を感じます♪
テレビ
なし
まとめ
「これがあのミスチルなのか?」
そんな戸惑いすら覚える、強烈な第一印象でした。
インスト『Dive』からシームレスにイントロが始まり、重く暗く、どこか不気味な雰囲気。
どこへ向かえばいいのかも分からないまま出口のない迷路をさまよい続け、ただただ海の中を漂う…。
そんな錯覚すら覚えます。
愛や夢や希望は、今もこの現代に存在しているのか。
そして、たとえ存在していたとして、それに価値はあるのか。
不安、迷い、葛藤。
後にも先にもないほどの苦悩を、桜井さんがこの1曲に凝縮させたようにも感じます。
実はアルバムのプロローグを飾る『シーラカンス』、そしてラストを締めくくる『深海』は、制作の最後に書かれた楽曲。
桜井さんは当時、このように語っています。
「ある程度アルバムの全体像が出来たときに、アルバムタイトルをどういうものにしようかって話になったんですけど、僕の中にシーラカンスってイメージがあったんですよ。それは音がアナログの古くさい中古の感じがするってのもひとつだし、あと、このアルバムのなかでずーっと書いてきたテーマってのが愛の検証でもあって…。かつて自分もよしとしてきたものに対して、かつてはあったけど、今はそれがあるのかどうか分からない。あって欲しいけど、あったところで本当に俺にとって必要なのかっていうことをずっと言ってるなって気がして、それとシーラカンスがずっとリンクしてたんですね。で、”俺、アルバムタイトルはシーラカンスがいいと思うんだけど”って言ったら、メンバーみんながサーっと引いていくのが分かったのね(笑)。でも、言ってることをどうにか伝えようって思って、詞を書いてこういうイメージなんだけどって見せたらみんな少し分かってくれてね。で、それに曲をつけて出来たのが“シーラカンス”なんです。7」
また、本楽曲についてギターの田原さんはこう語ります。
「“シーラカンス”っていうのは、このアルバムの意思だと思うし、桜井個人の持つ意思かもしれない。8」
この曲は、『深海』という作品全体の“核”であり、その序章にして、象徴でもある。
この先に待っているものは、救いなのか、それともさらなる迷いなのか…。
と言いつつ、その答え、結末は、この次に収録されている曲で描かれることとなります。
しかしそれすら始まりでしかない。
さぁあなた自身の感覚で、この“深海”に潜ってみてください。
きっとその先で、あなただけの“シーラカンス”に出会うはずです。
ようこそ、“深海”へ。
準備中
- ほぼ全ての雑誌でコメント ↩︎
- 月刊カドカワ 1996年7月号 ↩︎
- WHAT’s IN? 1996年7月号 ↩︎
- 月刊カドカワ 1996年7月号 ↩︎
- 月刊カドカワ 1996年7月号 ↩︎
- NHK-FM「ミュージック・スクエア」1996年6月17日 ↩︎
- B-PASS 1996年8月号 ↩︎
- PATi-PATi 1996年7月号 ↩︎






“かつてあったと思われていたもの。でも、今はあるんだかないんだかわからない。そしてあったとしても、何の役にも立たないかもしれないもの”。つまり、愛とか夢とか希望だとかっていうものをシーラカンスに例えて、このアルバムの中でいろんな角度から検証している。3