
Mr.Children「いつの日にか二人で」の解説と歌詞考察だよ♪
いつまでも消えない優しい願い
楽曲紹介
楽曲収録CD
概要 | 収録作品 | 発売日 |
---|---|---|
2nd ALBUM | Kind of Love | 1992年12月1日 |
作詞:桜井和寿/作曲:桜井和寿/編曲:小林武史&Mr.Children
アルバム『Kind of Love』累計売上:118.0万枚
豆知識

仮タイトルがあるんだけど、この後”タイトルについて”の項目で紹介するね♪

本人達からはあまり語られていない曲だな。
アルバムジャケット情報
- 真ん中の帽子を持っているのはJENの手
- 「What a Kind of Love Do You Like?」は信藤さんが足したもの
- アートディレクター:信藤三雄率いるContemporary Production
MV(ミュージックビデオ)情報
なし
ミュージックビデオはございません
タイトルについて

仮タイトルは『ミッシェル・ファイファー』。
桜井さんは以下のように解説しています。
この曲は、年上の女性を好きになってしまった片想いのラブソングです。
歌詞考察
1番 Aメロ(今月になって〜)
今月になって 何度目だろう
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
眠むれずにいる夜は
あのひとの声 聞きたいのに
話す事はない
落ち着いて眠れない夜が続き、何かを抱えながら、静かな夜を孤独に過ごしている主人公。
そんな眠れない夜に浮かんでくるのは、「あのひと」の声です。
ここでの「あのひと」は、後に登場しますが、一旦は“今も心に残っている人”としておきましょう。
ただひとつ分かるのは、その人の“声”を聞きたいと思うほど、主人公にとって大切に想っている人。
けれど、そんな思いを抱きながらも、「話す事はない」と、自分に言い聞かせるようにつぶやきます。
声を聞きたい。
でも、今さら何を話せばいいのかわからないし、関係性そのものがもう終わってしまったのかもしれない。
ただ“思い出すことしかできない夜”を主人公は過ごしています。
1番 Aメロ2(本当の〜)
本当の気持ちが 恥ずかしくて
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
騒いで気を引くだけ
もう一人の僕が言う
“こんなはずじゃないだろう”
好きな人、大切な人に対して、素直に「寂しい」「会いたい」と言えない。
その恥ずかしさを隠すために、「騒いで気を引くだけ」。
素直に想いを伝える代わりに、遠回しな言葉や、わざとそっけない態度を取ったりしてしまう、近づきたいのに遠ざけてしまう、という誰しも一度は経験したことのあるような、不器用なやりとりがそこにあります。
そんな自分を、心の奥にいる“もう一人の僕”が冷静に見つめている。
「こんなはずじゃないだろう」。
本当はもっと素直になりたい、本音でぶつかりたい。
けれど現実は、それができないまま空回りしている。
そんな心の葛藤が、描かれています。
1番 Bメロ(あのひとから〜)
あのひとから 見れば僕は
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
年下の Dearest Friend
誰かの言う ダメな訳も
うなずけるけれど
ここで“あのひと”がどんな相手なのかが描かれます。
彼女にとって自分は「年下のDearest Friend」。
直訳すれば”最愛の友人”ですが、“恋人”ではなく“友人”。
つまり「あのひと」とは、“片想いの年上の女性”でした。
そして「誰かの言う ダメな訳も うなずけるけれど」と続きます。
これはおそらく、周りの人たちが「その関係は無理があるよ」「君にはまだ早い」「釣り合わない」などと口にしていた言葉でしょう。
今思えば確かに自分は、あの人と釣り合うには未熟だった。
そんな自分の甘さを認めている主人公。
2番 Aメロ(気がつけば〜)
気が付けば いつも どんな時も
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
あのひとで 溢れてる
心の中は また曇り空
いつの日にか二人で…
日常のふとした瞬間や、何の前触れもない場面で、自然とあの人のことを思い出してしまう主人公。
誰かと会話しているとき、街を歩いているとき、眠る前の静かな時間…。
そんな何気ない場面の中に、ふと“彼女”の笑顔や声、仕草が浮かんでくる。
もうとっくに終わったはずの恋なのに、その人の存在がまだ心の奥に残っているのです。
思い出すたびに後悔や寂しさ、どうしようもない想いが胸を締めつける。
それはまるで、晴れることのない空のように、心を重たくしてしまうのです。
「いつの日にか 二人で…」。
本当は「いつかまた二人で会いたい」「一緒に笑い合いたい」そういった願いが心の奥にあるのでしょう。
けれど、それを口にすることもできず、叶うかどうかもわからない。
だからこそ、あえてその先を曖昧にして、「…」と余白を残しているのかもしれません。
2番 Bメロ(あのひとから〜)
あのひとから すれば僕は
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
年下の Dearest Friend
一度だけの 甘いKissも
忘れたふりして
主人公は改めて、自分は“恋人”ではなく、“年下の親しい友人”として彼女に見られていたのだと痛感しています。
あくまでも恋人のラインは越えない関係だった。
しかし二人の間にほんの一瞬だけ、恋人になりかけた瞬間があったようです。
「一度だけの 甘いKiss」
ただ、その“たった一度”にすぎなかったということは、関係はそれ以上進むことはなかった。
だから僕はそのキスを、今は忘れたふりをして過ごしている。
思い出すたびに心が痛むから、あえて“ふり”をしているのです。
3番 Aメロ(映画の〜)
映画の中の恋のように
抱きしめ眠る夜を
もう少しだけ 夢に見ていよう
いつの日にか 二人でいつの日にか 二人で
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
現実では叶わなかったけれど、心の中では何度も繰り返し描いてきた理想の恋。
“あの人と一緒に夜を過ごし、互いを抱きしめながら眠る”。
そんな温かな時間を、まるで映画のように夢に見ているのです。
あくまでこれはフィクション。
それでも主人公は、「もう少しだけ 夢に見ていよう」と語ります。
実現するかどうかも分からない。
けれど、“ゼロ”ではない希望。
どんな形であれ、「いつかまた二人で」という想いだけは、そっと胸の奥にしまっておきたいのです。
いつまでも消えない優しい願い。
切ないけれど、とても繊細で美しいラブソングだなと感じました。
聴きどころ
メロディー
とても切ないメロディーであり、歌うのも難しい。
音程の上がり下がりが激しく、スローテンポの跳ねたリズム。
それをサラッと歌い上げる桜井さんはやっぱり上手いですね。
また面白いのが、Bメロ(サビ?)の転調。
さりげないので分かり辛いですが、後半(赤字)部分が1音上がっています。
あのひとから 見れば僕は
<出典>Mr.Children/いつの日にか二人で 作詞:桜井和寿
年下の Dearest Friend
誰かの言う ダメな訳も
うなずけるけれど
転調することによって、同じメロディーでも切ない気持ちがより伝わってきますよね。
アレンジ
ピアノとストリングスのみの演奏です。
歌なしでも聴いてみたいくらい素敵な演奏に、うっとりしますね。
イントロからチェロの響きが心地良く、曲が進むにつれ増えていく弦の音が、歌の中の世界へと導いてくれます。
特に間奏が聴きどころ。
伴奏に徹していたピアノが主旋律を弾き、ストリングスがそのメロディーにユニゾンしていく。
そんな掛け合いが、主人公の葛藤のようにも思えて、とても切なくなりますね。
著名人の感想
随時更新します
ライブ&テレビ披露
ライブ
- ’92-93 Kind of Love TOUR
オススメ映像作品
なし
現在ライブ映像作品はございません。
テレビ
- なし
まとめ
2nd ALBUM『Kind of Love』を締めくくる、しっとりとした切ないバラードラブソング。
初めて聴いたのは小学生の頃でしたので、第一印象は正直ほとんど覚えていません。
でも、歳を重ね、好きな人ができ、その人を想い眠れない夜を経験をする度に、この歌の最初のフレーズを口ずさんでしまうことがありました。
今、改めて聴き返すと、当時抱えていた淡い片想いの記憶が重なります。
もし当時の自分に“いつの日にか二人で”という願いがあったとしても、その願いはとても儚くて、叶うことはきっとなかった。
でもそう思う気持ちというのは、とても温かいものだなぁと、大人になった今ようやく理解できた気がします。
そんな時間を超えて寄り添ってくれる曲の一つ。
この曲は仮タイトルが『ミシェル・ファイファー』であり、映画『恋のゆくえ』にインスパイアされて書いたということでしたとので、映画『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』を観ました。
簡単にあらすじをご紹介します。
とある兄弟がホテルのラウンジでピアノを演奏しながら、その日暮らしをしていたのですが、ある日を境に行き詰まりを感じます。
そこで二人は立て直すため、ピアノの演奏だけではなく歌い手を入れようとオーディションを開催。
そこで登場するのが、ミシェル・ファイファー演じる「スージー」。
晴れてトリオとなり、成功の兆しを見せるが…。
そこからほろ苦いドラマが始まっていきます。
(詳しくは下記をご覧ください)
映画を観ていただくと、所々曲と重なる部分がありました。
例えばピアニストの「ジャック」とミシェル・ファイファー演じる「スージー」は、夜を共にするけど、恋愛には発展せず、むしろ距離ができていってしまいます。
また、この曲は「いつの日にか 二人で」という歌詞で終わり、その後どうなったのかは描かれていません。
そしてこの映画の最後のセリフも、「会えるよ またいつか」で終わります。
桜井さんは、映画のように派手な愛やドラマチックな展開よりも、言えなかった言葉や、すれ違った想い、心に残った小さな後悔といった“余白”を大事にする作家です。
二人が明確なハッピーエンドにたどり着かないこと。
それでもどこかに繋がりが残っているような、言葉にできない関係。
そうした空気感を、歌にしたかったのではないでしょうか。
そんな、“映画のような恋”に憧れながらも現実にはならなかった、とてもリアルな片想いの歌でした。
準備中
- GB 1993年1月号 ↩︎
「ミッシェル・ファイファーの『恋のゆくえ』っていう映画があったじゃないですか。それで、あの中に出てくるようなスタンダードなものを書いてみたいなと思って作りはじめた曲なんですよ。で、なんとなく歌っているのが、ミッシェル・ファイファーみたいなイメージだったんで、そこから仮タイトルをつけて。もしかして、あの仮タイトルに影響を受けて、年上の女の人を好きになってしまう…という詞の内容が浮かんできたのかもしれない。1」